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2011年6月15日 (水)

節電生活

東京電力の不祥事のおかげで、今年の夏は時ならぬ節電ブームだ。

我が社でも例年より1ヶ月も早くクール・ビズをスタートさせたし、ノータイを問題にする人は社内外どこにもいない。蒸し暑い夏、この傾向は助かるには助かる。

それにしてもこの国のエネルギー政策はなぜこうも場当たり的なのだろう。

ドイツ、スイスに続いてイタリアでも原発への訣別を決めた。

原発推進派は、これらの国々は他国(フランスなど)から電力を輸入しているのであり、結局原発依存に変わりはない、と言う。

さらに、今国内で起こっている反原発の声に対し、感情的だと断定しがちだ。

しかし反原発を唱える人たちが感情的というのは本当だろうか?

被災地の人たちが切実な思いで、または怒りを込めて東電や政府の対応を批判している様と混同しているのではないか?

反原発と言うのはここ最近起こったムーブメントではないし、それを唱える人たちは至って冷静だと思う。

また、被災地の人たちが感情的になるのは人間として至極当たり前だろう。

感情的になっているのは、むしろ、推進派の方ではないだろうか?

NHKの世論調査では、原発賛成(「どちらかと言うと」含む)は月を追うごとに減っていき、反対は増えている。

これは、賛成か反対か決めかねている人々、そうは言っても電気はないと困るし・・・と考えている人々が、時間の経過とともに「反対」にまわっていると見るべきだろう。

刻々と暴露される東電や政府のデタラメぶりに愛想を尽かして、といったところではなかろうか?

推進派は、原発なくして生活は成り立たないのだから、いかに安全に運転するかの具体的議論をする方が現実的だと言うが、そもそもの前提「原発なくして生活は成り立たない」というのが本当かどうか、生活者の目で検証するべきだ。

推進派は「成り立たない」データを、反対派は「成り立つ」データを持ってくる。

つまり、嘘ではないが全ての真実を明かしていないということだ。

しかも、この数ヶ月で反対にまわった人たちは、原発を取り巻く欺瞞の体質や胡散臭さを感じ、安全な運転・運営に対して多いに疑問を感じているはず。

人間が作ったものである以上、完全などない。しかし万が一のトラブル時に、まず“隠蔽”ではお話にならない。進歩はない。

この夏、原発がないから電力が不足するという。

ならば、不足するなら不足するなりの生活をみんなで考えればよいことだろう。

「オール電化」「電気自動車」などの上っ面だけの“エコ”を捨て、電力に依存しすぎない生活を、みんなで知恵を出し合えばよい。

放射能汚染からどうやって身を守るかを考えるより、電気が充分でない環境でいかに便利に快適に過ごすかを考えた方が、精神衛生上もよいのでは?などと思ってしまう。

それにこの震災で仕事を失った人々、4月に職にありつけなかった学生たち。

彼らを集めて国家プロジェクトとして、脱原発のエネルギーや生活様式のアイデアやシステム、ツール等々を創出することができれば、雇用の問題にも一役買えるだろうし、何より人のためになる、社会に貢献できるとなれば、モチベーションも高く維持できるのじゃないかと思う。

物質に溢れた環境で育ってきた30歳代以下の世代でも、彼らの新しい感性で何かを生み出してくれるかもしれない。

予防対策ももちろん重要だが、どんな工夫をすればもっと便利になるか、代替のエネルギーをどうやって供給するか、なんてことに頭を悩ませた方が生産的だ。

今回の震災と事故は、正に国難。

エネルギー政策ももちろんだが、我々市民レベルでも、生活を原点から見直すべき時が来たということだ。

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